困ったこと
放射線を知る旅を始めて二日目、旅の友(注1)を得た私が最初に入った部屋は「定義の間」だった。すると、いきなりこんなミッションが。
「放射線てなあに?ひとことで説明して次に進もう!」
おおーー!これはまさに昭和のRPG!旅の幕開けにふさわしいミッション!なんだかワクワクする!さあ、出でよ、旅の友たち!ひとことで説明したまえ!!というわけで、旅の友たちは、一人ずつ次のように話しはじめた。
友①「目に見えないふしぎな光のようなものだよ」
え?
友②「とても小さな粒子やエネルギーの流れ、です」
は?
友③「さよう。放射線にはいくつかの種類があるが、いずれも高いエネルギーをもって飛んでいる粒子または光である」
・・・・(汗)
はああぁ!?それって、どーゆーことですかぁ?何ですか「光のようなもの」って。「粒子または光」って、ちょっと。とーーっても、アヤシイ!しかも、モヤモヤするぅ!「スイカは果物か野菜か」よりももっとモヤモヤするぅ!ニュートンの伝記を読んだ時に思ったモヤモヤ再び!「光は粒子か波か」また、それなの!!??こんなんで、皆、納得してるわけ!?え?
注1)旅の友とは、私が参考にしている本のことです。
友① 『放射線になんか、まけないぞ!』(2012.1.15 太郎次郎社エディタス)木村真三 監修、坂内智之 文、柚木ミサト 絵
友② 『どこから来るの?どんなもの?みんなが知りたい放射線の話(ちしきのもり)』(2011.12.27 少年写真新聞社)谷川勝至 著
友③ 『放射線を科学的に理解する 基礎からわかる東大教養の講義』(2012.10.10 丸善出版)鳥居寛之・小豆川勝見・渡辺雄一郎 著
「ひとこと」のモヤモヤ感
思うに私は「ひとこと」に飢えている。いろんなことを「ひとこと」でくくって安心している。例えば、
あのママ友は「モンペ(モンスターペアレント)」ではない。
新任の先生は「イケメン」だ。
「ホウシャセン」は怖い。
確かに「ひとこと」には、ちょっとつまめるお手軽さがあるのだ。そしてつまむと小腹が満たされるのだ。しかーし!その「ひとこと」の中に、どれだけの材料が含まれているかなんて、あんまり気にしていないのだ。賞味期限は気にするかもしれないけど、どんなふうに作られてるかとか、誰が作っているかとかどういう状況で食べれば美味しいのか、実はあんまり気にしていないのだ。とりあえず食べちゃえば分かったも同然!みたいな状況。実際には、「ひとこと」でくくったものが、明快だったことなんてないんじゃないの!?
ソシュールという人が説明してた、シニフィアンとシニフィエもこういうことなのでわ?
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イケメンのひとことだけでは語れない。 |
モヤモヤ感について、軽やかに感動的な説明している本がこれ。
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『パリティ物理教科書シリーズ・量子力学入門』 前野昌弘 著 (丸善出版 2012.11月) ISBN 978-4-621-08620-9 |
17世紀後半からあった「光は粒子か波か」という論争について、量子力学はこう答えるのでしょう。光は、粒子でもあり、波でもある。だって「現実(実験結果)がそうなのだから、仕方がない」んだもーん、と。
また、こうも言っている。
「『世界の切り口』しか知らない人間の直感は「世界」全体には通用しないこともある。だから人間は謙虚に世界を調べて、世界の切り口を広げていかなくてはいけないし、広げられた切り口から見える世界をより深く考察していかなくてはいけない」
そうさ、世界は広い。うんと広い。とてつもなく広い。
科学(学問と言い換えてもいいかもしれない)に携わっている人たちでさえ、このモヤモヤした広さに、自分の直感や常識と闘いながら、こつこつ地道に切り込むしかないくらい、広いのだ。
勇気を持って
個人の動揺と感動の合間に、ミッションは遂行された。3人の友達の力を借りて、放射線は「ひとこと」で定義されたわけである。三冊とも、モヤモヤした世界を見事にモヤモヤのまま切り取った定義である。
ここで私に試されたのは、「モヤモヤ」に突っ込んでいく勇気とでも言えばよいでしょうか。
この「モヤモヤ」感によって、放射線を学ぶことに抵抗を感じる人は、私のほかにもいるかもしれない。放射線の姿を知るにあたり、この「モヤモヤ」感を自覚する勇気を持っているか否かで、捉え方は大きく変わってくるのではないかと思うのであ~る。そして、この勇気があるから、今は「粒でも光でもどちらでもよい」というスタンスに立てているのであ~る。
なんのこっちゃ。
まあよい。
さあ「定義の間」を抜けよう。いよいよ、「放射線の姿」を見に行こう。
先、長いなあ!
(つづく)